本棚を整理していたら昭和40年の時刻表が出てきましたので、当時の日豊本線の様子を調べてみます。
当時、日豊本線を走る東京行きの列車は、急行高千穂のわずか1本しかありませんでした。特急富士はどうしたの?というご意見もあるでしょうが、残念ながら大分止まりでした。では新幹線はどうかというと、「ひかり」が1時間に1本しかなく、東京〜新大阪で4時間もかかっていました。
急行高千穂の時刻を見てみましょう。
下り 上り
東京 1435 1650
名古屋 2005 1140
京都 2219 0927
大阪 2300 0840
小倉 0950 2339
延岡 1515 1619
日向 1553 1553
宮崎 1708 1447
西鹿児島1953 1150
※時刻は発時刻(終着駅を除く)
※上りは時刻を逆順に表記
延岡から東京までほぼ24時間ですね。
急行高千穂には、1等車、2等車、2等寝台、食堂車(東京〜大分間)が連結されていました。
1等車といえば、今のグリーン車ですが、この列車の場合は指定席ではなく自由席でした。当然2等車も自由席です。駅に行ってみなければ座れるかどうかはわからない、座れなかったらずっと立ちっぱなしです。東京へ出てくる、宮崎に帰るというのは、大変な時代だったんですね。
料金を見てみると、東京〜宮崎間の運賃(2等)が2,380円、急行料金が300円ですから、合計で2,680円です。
この料金が高いのか安いのかピンと来ませんが、食堂車の料金を見るとカレーライス150円、サーロインステーキ300円、コーヒー50円とありますから、この価格を10倍ぐらいにすると実勢価格に近づくのでしょうか? ちなみに東京宮崎間の航空料金は12,700円ですから、5倍弱です。これは庶民には手の出ない価格だったのでしょう。それを物語るように航空便の数は1.5往復しかありません。
時刻表を読み込んで行くうちに面白いネタを次々と発見しましたので、このシリーズは続きますww。
工藤(孝)@延岡西
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